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飛来峰記事

後期高齢者医療制度の保険料が、10月から変わります。

75歳の誕生日を迎えると自動的に後期高齢者保険に加入することになります。この保険料には年収に応じて納める「所得割」と、加入者全員が納める「均等割」があります。

後期高齢者医療保険は、制度のネーミングが不評であったこともあり、保険料を軽減する様々な措置を講じました。また、制度が導入されるまでは保険料が不要であった「被扶養者」にも新たに突然保険料が請求されるため、軽減措置が講じられました。この「軽減措置」が、17年から段階的に廃止されることになっていました。

この10月からは具体的には、年金収入が年80万円以下の低所得者(約378万人)に対して保険料を9割軽減している特例措置を廃止され、本則の7割軽減に引き下げられ、保険料は3倍化。年額で平均1万3500円(20年度)になします。

代わりに「年金生活者支援給付金」の支給や介護保険料の軽減が行われますが、低所得者ほど負担が重い消費税増税とセットであり、「消費税は社会保障の充実のため」という看板に偽りがあることが明確になったといえます。

消費税が導入されてから31年になります。この31年間で、消費税による税収は397兆円、同時期に法人3税の税収は298兆円減りました。また、所得税・住民税の税収も275兆円減っています。

その原因は、大企業や富裕層への減税や優遇税制により税収が大きく減ったことにあります。法人税率引き下げ、大企業向けの優遇税制、所得税の最高税率の引き下げ、大株主優遇の証券税制などです。

消費税増税が繰り返された1997年から2017年の間に、世界の主要国のGDP(国内総生産)は、米国が227%、フランスが178%、ドイツが166%に対し、日本は110%と、成長しない国になっています。

国民経済に多大な負担を強いる消費税増の強行に強く抗議します。

地方政治新聞「民主香川」に、「全世代直撃の社会保障改悪」というタイトルで、社会保障関連の内容の連載をしています。2019年9月15日付(第1825号)に掲載した、「国民健康保険制度を考える」(その4)の後半です。

角川村保健組合は、36年4月に設立されています。角川村のホームページには以下のように記述されています。

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 

組合は村立診療所の中に置かれ、角川村の人々は安心して診療を受けられるようになった。国は38年7月、国民健康保健法を施行。これにより「角川村保健組合」は、国民健康保険組合に改め、同年8月1日、法律に基づく「角川村国民健康保険組合」として全国第1号の設立認可を受けた。

角川地区に建立された記念碑には、「相扶共済」の文字ととも次のような碑文が刻まれている。

「この地山形県最上郡戸沢村大字角川村は、僻地で交通の便悪く、医師のいない村として民生の上まことに困難を感じた人達が、その対策としてできたのが、角川村保険組合で、36年4月から発足した。

38年7月国民健康保険組合に改め、設立認可第1号をもって全国市町村にさきがけし、国保本来の使命である相扶共済の精神を旨として実践、現在に至ったものである。(以下、略)」

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 

いずれも、限られた地域の中での相互扶助の組織から始まったことがわかります。

42年の国民健康保険法の改正により、任意であったものが強制的に設立しなければならなくなり、組合員として資格のある人はすべて加入しなければならなくなりました。

小泉親彦・陸軍軍医中将(厚生大臣)は、全市町村に国保組合を設立、国保を中心とした“国民皆保険”施策を実行しました。43年度末には、市町村の約95%で国保組合が設立され、加入者数も2000万人を超えたと記録されています。

しかし、前回も触れたように、戦争が進むにつれ、「医療制度そのものが成り立たなくなり、敗戦を迎えることになります。

地方政治新聞「民主香川」に、「全世代直撃の社会保障改悪」というタイトルで、社会保障関連の内容の連載をしています。2019年9月15日付(第1825号)に掲載した、「国民健康保険制度を考える」(その4)の前半です。

前回、1938年に国民健康保険法が制定され、任意設立の「国民健康保険組合」(国保組合)を保険者とし、世帯主や同一事業者などの従事者で原則「任意加入」であったことについて触れました。

日本で最初の国保組合は、法制定前の36年に、埼玉県南埼玉郡越ケ谷町(現在、埼玉県越谷市)と、山形県最上郡角川村(現在、山形県最上郡戸沢村)に設立されました。

どちらの自治体も、国保組合発祥の地としているので、両方とも紹介します。

引用にあたり、元号表記を西暦に変更、一部文字を省略しています。

越谷市のホームページには、以下のように記述されています。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

越ヶ谷順正会は、36年に越ヶ谷町に成立した国民健康保険類似組合第1号です。

越ヶ谷順正会の前身は昭和初期に設立された「至誠会」という無尽講(注1)で、町税完納を目的とした組織でした。その後、町税の滞納は家族の罹病が大きな原因であることを知り、医療救助を目的とした共済組合「順正会」の設立を目指しました。

しかし「順正会」の設立は治安警察法に触れるとして一時頓挫しましたが、国民健康保険制度の成立を目指す内務省の協力を得て36年に「越ヶ谷順正会」が成立しました。

その後、38年7月に国民健康保険法が公布されると、「越ヶ谷順正会国民健康保険組合」として認可、41年には「越ヶ谷町国民健康保険組合」へと発展していきました。

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

注1:むじんこう。相互に金銭を融通しあう目的で組織された組織のことで、頼母子講(たのもしこう)と同じ。

保団連(全国保険医団体連合会)理事会は、9月9日に「直ちに国会を開き、消費税増税を中止することを求める」という声明文を発出し、国会議員やマスコミ各社に送付しました。その大要を紹介します。

「政府・与党は10月4日から臨時国会を開くとしているが、私たちは、国民生活にも関わる」「諸課題について、直ちに国会を開いて国民に説明し、打開のための徹底的な審議を行うことを求める」

「賃金の低迷と抑制され続けてきた貧弱な社会保障の下で、国民は日々の生活防衛を強いられ、増税前の『駆け込み需要』すら起きないのが現状である」

「消費税増税は国民生活の悪化と受診抑制や治療中断をさらに加速させ、患者・国民の命と健康が脅かすことになり、地域医療に従事する医師・歯科医師として断じて容認できない。また税率引き上げによって医療機関の控除対象外消費税(損税)の矛盾が拡大し、個々の医療機関はもとより地域医療全体に影響が及ぶことは必至である」

「政府・与党は、国民の生活実態を直視し、消費税増税に対する不安の声に耳を傾け、一刻も早く10月消費税増税の中止を決断すべきである」

全文は下記のアドレスを参照ください。

https://hodanren.doc-net.or.jp/news/teigen/190909_seimei_dietptax.pdf

共同通信が8月31日に「社会保障改革へ月内に新会議創設」と題するニュースを配信しました。

それによると、「9月中下旬にも有識者を加えた新たな会議を創設することが31日、分かった。団塊世代が75歳以上の後期高齢者になり始めて公費支出が急増する2022年を控え、医療などの負担増を含む見直しが焦点となる」としています。

これまで社会保障「改革」の内容は、「骨太方針****」に明らかにしていましたが、今年は参院選前であったため、具体的な内容は記載されませんでした。選挙が終わり、この秋にはこういった議論が盛んになります。

しかし、本来国会を開催するか、閉会中審査で予算員会や厚生労働委員会などを開催し議論を始めるべきです。

国会とは別に「会議」を作り、そこで議論を行い結果を国会に事実上押し付けるというやり方は、民主主義とはかけ離れたものです。

いまこそ、社会保障の在り方を国会で堂々と議論すべきです。

地方政治新聞「民主香川」に、「全世代直撃の社会保障改悪」というタイトルで、社会保障関連の内容の連載をしています。2019年8月11日付(第1822号)に掲載した、「国民健康保険制度を考える」(その3)の後半です。

38年に制定された国民健康保険法は第1条にその目的として「相扶共済の精神に則り疾病、負傷、分娩又は死亡に関し保険給付を為すを目的とするものなり」(※2)と書かれており、「相扶共済」という考え方が強調されています。

44年に厚生省保険局長となった伊藤謹二さんの「国民健康保険の思い出」に、こんな記述があります(※3)。

法律制定当時の国保の主眼点は、農山漁村民の防貧ないし生活の安定だった。その旗印が時局の激化と共に、大東亜共栄圏を建設しようとする大理想達成の強力な手段となった。つまり、当時謳われた人口増加策や健兵健民政策の担い手としての使命を課せられたのであった(一部略)。

やはり富国強兵政策の一環という側面が色濃いものでした。

発足当時の国民健康保険の保険者は、任意設立の「国民健康保険組合」で、市町村内の世帯主または同一事業者などの従事者で原則「任意加入」でした。

42年に法改正が行われ、自治体による組合の設立が事実上強制され、住民のも強制加入となりました。しかし、太平洋戦争が進むにつれ、戦地に人がとられ、医療機関も運営できなくなり、医薬品もなくなり、保険「制度」そのものが崩壊していきます。

話はそれますが、やはり平和でなければ、健康は維持できず、「健康」と「平和」は一体のものであると思います。

平均寿命統計では、第6回(昭和10年度)集計で、男性:46.92歳、女性:49.63歳。戦時中のデータはなく、第8回(昭和22年度)が、男性:50.06歳、女性:53.96歳です。

この後、急速な高齢化が進む訳で、平和が大事ということになります。


※2 カタカナをひらがなに直しています。
※3:読売新聞「国民皆保険・皆年金」(2013年)

地方政治新聞「民主香川」に、「全世代直撃の社会保障改悪」というタイトルで、社会保障関連の内容の連載をしています。2019年8月11日付(第1822号)に掲載した、「国民健康保険制度を考える」(その3)の前半です。

国民健康保険の戦前の歴史を振り返ってみます。

医療保険制度の始まりは、1922年の「健康保険法」です。対象は労働者で、労働争議に対応する側面と、「恤救規則」(じゅつきゅうきそく)に基づく側面があります。

「恤救規則」とは、現人神(あらひとがみ)である天皇が臣民に慈恵を与えるというもので、「労働者の権利」や「基本的人権の保障」という性格はありません。それはともかく、法律で健康を保持する制度ができたという点では、一歩前進でした。

29年に世界大恐慌がおきます。日本でも農村が疲弊し、32年から34年にかけて、「時局匡救事業」(じきょくきょうきゅうじぎょう)(※)が行われます。

内容は、景気対策を目的とする公共事業である「救農土木事業」と、「経済更生運動」に分けられます。

後者は、当時の農村の伝統とされた「隣保共助の精神」を中心とした、「農山漁村経済計画樹立実行運動」というものです。各町村に経済更生委員会が設置され(後に振興委員会)、その下部組織として、町内会、部落会、隣組、隣保班という、戦時下の国民精神総動員運動により、戦時ファシズム体制を支える機構として形成されます。

一方で軍部も兵力の維持、とりわけ健康な青年の確保を目的として、「健兵健民政策」をうたって、厚生省を設立することになります。

この頃に、国家総動員法と併せて、国民健康保険法、船員保険法、さらに戦費調達を目的とする労働者年金保険法(後に厚生年金保険法と改称)が制定されました。


※「經濟論叢」129巻6号「経済更生運動と農村経済の再編」(岡田 知弘)

朝日新聞が、「全国の国立大病院42カ所で」「消費税を診療費に十分転嫁できず、2014 ~ 18年の5年間に計969億円を病院側が負担していることがわかった」と報じました。

記事によると「税率が8%になった14~18年の5年間で計969億円に上った。私大の付属病院などでも同様の傾向と見られる」としました。

本欄第743回(2015年8月25日)付け(※)で、「消費税が8%になり、多くの医療機関が経営が苦しくなっているのは事実であり、このまま10%増税には到底耐えられないという声が大きい」と指摘しました。

消費税増税は行うべきではありません。

※下記のアドレスを参照ください
https://hiraihou.t-heiwa.com/?p=941

地方政治新聞「民主香川」に、「全世代直撃の社会保障改悪」というタイトルで、社会保障関連の内容の連載をしています。2019年7月21日付(第1819号)に掲載した、「国民健康保険制度を考える」(その2)の後半です。

その一方で、自治体が関与することにより、住民自治によりうまくコントロールできる可能性があるという点もあります。

「行政」といっても最初から誰かが権力を持っている訳ではありません。地域の実情に応じて様々なやり方があり、「住民自治」で、住民本位の運営が可能になる可能性を秘めている訳です。

その典型例が、岩手県の豪雪地帯にある沢内村の実践です。

「厚生の指標」第56巻第8号(2009年8月)に掲載された「生命行政の検証-岩手県旧沢内村(現西和賀町)の老人医療費無料化が村におよぼした影響-」(※2)によれば、「沢内村は昭和35年12月から65歳以上,昭和36年4月から60歳以上と乳児の医療費無料化を実施した。しかし,昭和34年に国民健康保険法の実施に伴い特定地域の10割給付について県および行政機関から沢内の医療費無料化策は攻撃された」。

当時の深沢村長は「国民健康保険法に違反するかもしれない……憲法違反にはなりませんよ。国民の命を守るのは国ですよ。国がやらないのであれば私がやりましょう。国は必ず後からついて来ますよ」と反論したそうです。

また、同時に豪雪に対してはブルドーザーによる除雪などに力を入れ、積極的な保健師の採用や乳児健診を展開しました。

つまり、国民健康保険制度の仕組みの根幹には民主主義があるということです。

「社会保障及び国民保健の向上に寄与することを目的」とするという面で考えれば、住民自治が機能して、国保を中心に保健行政を住民本位に変革することができたら、住民の健康・福祉が大きく前進するということを実証した典型例だと思います。

※2鈴木るり子岩手看護短期大学専攻科地域看護学専攻教授