第1062回:国民健康保険制度を考える(その7)

地方政治新聞「民主香川」に、「全世代直撃の社会保障改悪」というタイトルで、社会保障関連の内容の連載をしています。2019年9月15日付(第1825号)に掲載した、「国民健康保険制度を考える」(その4)の前半です。

前回、1938年に国民健康保険法が制定され、任意設立の「国民健康保険組合」(国保組合)を保険者とし、世帯主や同一事業者などの従事者で原則「任意加入」であったことについて触れました。

日本で最初の国保組合は、法制定前の36年に、埼玉県南埼玉郡越ケ谷町(現在、埼玉県越谷市)と、山形県最上郡角川村(現在、山形県最上郡戸沢村)に設立されました。

どちらの自治体も、国保組合発祥の地としているので、両方とも紹介します。

引用にあたり、元号表記を西暦に変更、一部文字を省略しています。

越谷市のホームページには、以下のように記述されています。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

越ヶ谷順正会は、36年に越ヶ谷町に成立した国民健康保険類似組合第1号です。

越ヶ谷順正会の前身は昭和初期に設立された「至誠会」という無尽講(注1)で、町税完納を目的とした組織でした。その後、町税の滞納は家族の罹病が大きな原因であることを知り、医療救助を目的とした共済組合「順正会」の設立を目指しました。

しかし「順正会」の設立は治安警察法に触れるとして一時頓挫しましたが、国民健康保険制度の成立を目指す内務省の協力を得て36年に「越ヶ谷順正会」が成立しました。

その後、38年7月に国民健康保険法が公布されると、「越ヶ谷順正会国民健康保険組合」として認可、41年には「越ヶ谷町国民健康保険組合」へと発展していきました。

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

注1:むじんこう。相互に金銭を融通しあう目的で組織された組織のことで、頼母子講(たのもしこう)と同じ。