第1059回:国民健康保険制度を考える(その6)

地方政治新聞「民主香川」に、「全世代直撃の社会保障改悪」というタイトルで、社会保障関連の内容の連載をしています。2019年8月11日付(第1822号)に掲載した、「国民健康保険制度を考える」(その3)の後半です。

38年に制定された国民健康保険法は第1条にその目的として「相扶共済の精神に則り疾病、負傷、分娩又は死亡に関し保険給付を為すを目的とするものなり」(※2)と書かれており、「相扶共済」という考え方が強調されています。

44年に厚生省保険局長となった伊藤謹二さんの「国民健康保険の思い出」に、こんな記述があります(※3)。

法律制定当時の国保の主眼点は、農山漁村民の防貧ないし生活の安定だった。その旗印が時局の激化と共に、大東亜共栄圏を建設しようとする大理想達成の強力な手段となった。つまり、当時謳われた人口増加策や健兵健民政策の担い手としての使命を課せられたのであった(一部略)。

やはり富国強兵政策の一環という側面が色濃いものでした。

発足当時の国民健康保険の保険者は、任意設立の「国民健康保険組合」で、市町村内の世帯主または同一事業者などの従事者で原則「任意加入」でした。

42年に法改正が行われ、自治体による組合の設立が事実上強制され、住民のも強制加入となりました。しかし、太平洋戦争が進むにつれ、戦地に人がとられ、医療機関も運営できなくなり、医薬品もなくなり、保険「制度」そのものが崩壊していきます。

話はそれますが、やはり平和でなければ、健康は維持できず、「健康」と「平和」は一体のものであると思います。

平均寿命統計では、第6回(昭和10年度)集計で、男性:46.92歳、女性:49.63歳。戦時中のデータはなく、第8回(昭和22年度)が、男性:50.06歳、女性:53.96歳です。

この後、急速な高齢化が進む訳で、平和が大事ということになります。


※2 カタカナをひらがなに直しています。
※3:読売新聞「国民皆保険・皆年金」(2013年)