第1081回:国民健康保険制度を考える(その9)

地方政治新聞「民主香川」に、「全世代直撃の社会保障改悪」というタイトルで、社会保障関連の内容の連載をしています。2019年10月20日付(第1828号)に掲載した、「国民健康保険制度を考える」(その5)の前半です。

前回(第1062-1063回)は戦前の国民保険制度の黎明期について触れました。

戦前の国民健康保険制度の成立の背景について、「全国保険医新聞」17年3月25日号の記事(※)から引用します。
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戦前の国民健康保険法は38年に施行されました。……兵士の多くは農民であり、特に東北は陸軍から「良兵産出地帯」などと揶揄されていましたが、農村地帯は貧困かつ「無医村」であり、医療は手の届くところにはありませんでした。……政府はそれまで農民の健康状態には全く無関心でしたが、徴兵検査で全国的に甲種合格率が下がったことに危機感を持ち、農民の医療保障に初めて関心を持ったのです。
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戦争が終わり、46年11月3日公布、47年5月3日施行で現在の日本国憲法がスタートします。

憲法25条には「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と定められています。

憲法とは国民の守る義務を定めたものではなく、国家権力(政治家や公務員など「権力者」)を縛る規範です。

その後国保法改正が続き、48年の第3次改正で、戦前の任意設立の「国民健康保険組合」から市町村公営の原則、市町村内の世帯主または同一事業者などの従事者の「任意加入」から被用者でない住民の強制加入が定められるという変更が行われました。

57年には「国民健康保険全国普及4ヵ年計画」が発足し、58年に国保法の全面改正が行われ、被用者保険に加入していない人は全て、国民健康保険制度に加入することになり、国民皆保険制度が実施されることになりました。

これに先立ち、55年には岩手県が、戦前の医療利用組合をもとにして、健康保険の100%加入を達成しています。

※「大転換する国保―社会保障としての国民健康保険―」寺内順子(大阪社保協事務局長)