(第666回 7月29日 )
被災地医療福祉生協訪問・宮城県篇で、第664回(7月22日)の続きです。
野蒜(のびる)地域には多くの人々が住んでいました。写真で紹介するのは、草むらばかりですが、津波で家が流された、かろうじて躯体は残ったが住むことはできないので撤去したというのが多いようです。部分的な修理は可能なようですが、取り壊して新築することは認められないからです。
前回紹介した「なるせの郷」も取り壊して新築しなければ事業の再開ができないため、やむをえず、現地での再建を断念しています。
JR仙石線も、同じ場所での再開はできず、高架による再開の道を選んでいます。住居の新築はできない、鉄道はなくなる、商店など生活するためのインフラもありませんから、「町」として復興するのは困難になります。そういう中で前回写真で紹介したコンビニエンスストアの再開は、住民の憩いの場ともなっています。
「町に住む」「生活する」ために、何が必要なのかを考えさせられました。
時間の都合もあり、名刹の瑞巌寺を横目に見ながら松島町に向かいました。松島町の海岸診療所(医科・歯科)も津波の被害にあいました。
「なるせの郷」は場所を変えて「まつしまの郷」として再開、訪問看護ステーションまつしま、介護相談センター(ケアプラン作成)、デイサービスおたしゃデイ、まつしまホームヘルパー(ヘルパー派遣)の複合施設となりました。
まつしまの郷の会議室で、松島医療生協のいなさんと意見交換を行いました。
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野蒜地域は草むらが多くあります。再度津波被害にあう「危険地域」とされているため、建物の再建ができないのです |
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全国の医療福祉生協や民医連の支援もあり、定期的に健康相談などを行っています。今回はみやぎ生協主催の取りくみにお邪 魔しました |
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仮設住宅です。みるからに住居環境は不十分だと思います |
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なるせの郷は、まつしまの郷として再開しました。 |
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松島医療生協の名雪理事長はじめ常務理事の皆さんのご意見を伺いました |
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津波で飛行機が押し流されていく情景はご記憶だと思います。仙台空港は日常を取り戻しています。 |
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