(第664回 7月22日 )
被災地医療福祉生協訪問・宮城県篇で、第662回(7月15日)の続きです。
東北の高速道路の現状は、NEXCO東日本のHP(注)を見るとわかりますが、常磐道は、いわきJCTを北に向かうと常磐富岡から南相馬までの間が「空白」になっています。ここでも、時計は3年間以上止まっているのです。
さて、山元町から高速道路を経由し、仙台空港を右に見て一気に松島に向かいました。途中で松島医療生協の皆さんと合流し、吉田川から「なるせの郷」に向かいました。なるせの郷は、松島医療生協が運営している介護施設でしたが、津波に巻きこまれ利用者・職員にも犠牲者が出ました。
被災した小学校は復興センターとなっており、多くの車と人が出入りていました。災害復興住宅の建設、JR仙石線の線路の付け替え工事(場所を移動するという意味です)などが行われていました。
JR野蒜(のびる)駅は、津波の震災被害にあいましたが、列車は津波が押し寄せる直前に上り・下り列車とも難を逃れています。野蒜駅には3日前に代替バスの停留所ができていました。野蒜駅には写真が掲示されており、青井・松島医療生協専務から詳しくお話を聞くことができました。
注:NEXCO東日本のHPは下記のアドレスを参照ください。
http://www.driveplaza.com/dp/MapSearch
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吉田川を津波は逆流してきました |
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左手が復興住宅の建設のための盛り土で住宅はこれからです。前方の高架はJR仙 石線の架け替え工事です |
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JR野蒜駅の駅前に代替運行のバス停があり、3日前にコンビニができました。これも復興への道筋です |
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仮駅舎内には、津波の記憶を忘れないように当時の写真が掲示されています |
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なるせの郷の跡地です。
この周辺は、再度津波があれば危険な地域と認定されているため、再建はできなくなりました |
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なるせの郷から野蒜小学校が見えます。消防車・救急車などが見えます |
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