(第662回 7月15日 )
しばらく、間が空いてしまいましたが、宮城県訪問の報告の続きを行います。第654回(6月13日付)の続きで、毎週火曜に連載していきます。
今回は、宮城県亘理郡山元町の報告の続きです。
移動中、津波被害にあった中浜小学校近辺を見ました。中浜小学校は、在籍児童が59名、職員数は14名で、津波が押し寄せた時に、児童と職員・保護者・町職員・地区民合わせて90名が屋上で津波の直撃を回避、一夜を屋上で過ごし、翌朝自衛隊のヘリで全員救助されました。詳細は下記のHP(注)を参照してください。
写真を見てもらうとわかりますが、小学校から海岸までの間は何もありません。小学校は通常町の中心部に作られますから、家屋は殆ど押し流され、がれきを片付けた跡だとわかります。沿岸部への新たな住居建設は認められないため、新築家屋はありません。震災3年を経つと半壊家屋などの取り壊し費用が出なくなるため、この間に周囲も取り壊されたようです。海沿いに常磐線が海岸線にほぼ平行に走っていますが、線路ごと流出しました。津波は2kmほど内陸部にある国道6号線まで到達したそうです。
こういった海岸部の復興をどうするのか、住居だけでなく、買い物のできる店、働く場所、学校の整備、津波対策をどうするか、月並みな言い方ですが、課題山積しており、復興はこれからだと思います。
その後、花釜区の吉野さんのお家に訪問し懇談しました。ここは香川医療生協が定期的に訪問しているところです。壁に貼られている寄せ書き10枚のうち6枚が香川医療生協から送られたものでした。
行政区長の岩佐さんと、吉野さんからお話を伺いました。
みやぎ県南医療生協として仮設住宅の訪問を行い、健康相談や健康チェックを行っている。これには香川医療生協など全国の支援もある。
3年たって、いろいろな問題も出てきた。1070世帯くらい住んでいたが350世帯くらいに減っている。みなし仮設、仮設含めると、4月末で631世帯になった。住民が集まる「交流センター」のような場所が、コミュニティを維持する上で重要だがない。仮設住宅には支援があるが、住居を修理して住んでいる場合にはない、心の問題や家庭内にさまざまな問題が出ているのが心配、など、区長として悩んでいることなどを率直に話していただきました。
とにかく、忘れないでほしい、年に1回でもいいので現地に来て話を聞いてほしいと、要望を頂きましや。香川医療生協の取り組みも一段落ついた形になっていますが、新たな枠組みで再度支援を行いたいと思いました。
注:2011年11月に東京で開催された、第30回教育研究公開シンポジウムで井上剛・宮城県山元町立中浜小学校長が発表した資料が、国立教育政策研究所のHPに掲載されています。
http://www.nier.go.jp/06_jigyou/symposium/e_sympo30/pdf/5_siryou.pdf
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被災にあった中浜小学校の全景です |
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中浜小学校から海を臨む。
草むらしかありません。
震災前は、のどかな街並みがあったと思います |
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2階建て校舎の2階の屋根のすぐ下まで津波は押し寄せました。屋上部(3階に相当)の倉庫に逃げ込み助かりました。 |
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吉野さん宅の居間の壁には各地から寄せられた寄せ書きが掲示されています |
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花釜区の風景です。
元々は家のあったところです。決して更地にしたくてしたのではないと思うのです。きっと苦渋の決断の末だったと思います。 |
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左から、松本常務、宮田常任理事、私、みやぎ県南医療生協・児玉常務吉野さんご夫妻、後ろが東久保副専務(現・専務)、右端が岩佐・花釜区長です |
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