(第651回 6月3日 )
5月31日の外来終了後、JRで大阪に向かい、伊丹空港から飛行機に乗り、18時過ぎに仙台空港に到着、宮城県内の医療福祉生協を訪問しました。東日本大震災から3年が経過し、現地の現状の把握と現地の声を聞き、これからの医療福祉生協の支援のあり方を検討するための取り組みです。
宮城県内には、宮城郡松島町にある松島医療生協、柴田郡柴田町にある宮城県南医療生協の2つの医療福祉生協があります。詳細は下記のHPをご覧ください。
※http://www.mmcoop.or.jp/
※http://business4.plala.or.jp/sibatacp/
31日は、医療福祉生協連からの参加者(私と東久保副専務、松本常務理事、宮田常任理事)と2つの医療福祉生協の方との打ち合わせを行いました。
1日の朝は7時30分にホテルを出発、柴田郡山元町の災害公営住宅を訪問・懇談した後、被災地の現状を視察、香川医療生協のボランティア活動で何度もお邪魔した山元町花釜区の吉野さんのお家で懇談しました。
※香川医療生協のボランティア活動はこちらのHPをご覧ください。
http://kagawa.coop/?p=2429
そのあと、高速道路を山元ICから鳴瀬奥松島ICに向かい、JR野蒜(のびる)駅舎、なるせの里(被災した松島医療生協の施設)跡などを訪問した後、東松島市鷹来の森(たかぎのもり)の仮設住宅を訪問した後、松島医療生協のまつしまの郷で理事さんと懇談を行いました。
移動距離は150kmを超え、17時頃に仙台空港に到着、JR高松駅に着いたのは午後10時過ぎでした。
次回から、少しずつ報告したいと思います。
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とても暑い一日でした。
山元町から松島に移動途中に昼食休憩したPAから見た空です |
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震災のがれきは、ほぼ処理が終わっていますが、ごく一部に残っていました |
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避難所に指定された野蒜小学校も被害にあいました。2階の天井の高さにある時計は、震災の時刻をまだ記録しています |
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橋の欄干、道路のガードレールはいまだに震災を記録しています。 |
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