(第556回 2月8日 )
以前から交流のある郡山医療生協では、「核害の街に生きる "核害対策室くわの"ニュース」を連日発行し全国発信しています。
2月7日付のニュースNo.216に掲載された「3・11を忘れない 今何が起きているのかを伝え続けることで!!」という文章の大要を紹介したいと思います。筆者は郡山医療生協包括支援センターの白石さんです。
福島第一原発が爆発して2カ月たったある日、桑野協立病院の前の川に佇むKさん(80)に声をかけた。
「私は原発事故のために富岡から避難し、近くのアパートで暮らしている。息子夫婦と避難してきた。夫と家の中に閉じこもりになっている。お喋りする人もいない」
後になってその時の心境を話してくれた。
「心細かった。寂しかった。早く富岡に帰りたかった。周囲には誰ひとり知っている人がいないことの不安、先の見えない毎日と不安でいっぱいだった」
その後、同郷の人のいる仮設住宅に転居したが、話す人がいない。閉じこもりになっている人が多いと聞く。故郷に戻れないとわかっていても。帰りたい!
避難元市町村関係者からは、閉じこもりの生活者が多いこと、認知症の進行に繋がっていること、うつ病の発症が増えていることなどの情報が入る。
避難者のSさん。福島第一原子力発電所に30年勤務し、3月11日にも仕事中に事故にあった。毎日酒を飲み、身も心もボロボロに疲れ果てていた。喘息発作もありながら煙草を吸い、「俺はなんで生きてんだろう。みんな事故後の処理で頑張っているのに……俺はなんにもできないでいる」と涙を流しながら訴えてきた。
「原発廃炉、原発反対……はわかる、けど、俺たちのことも考えてほしい!」
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原発をどうするか、フクシマ後をどうするか、さまざまな課題がありますが、被災者の今をどうするかも同時に考えていく必要があると考えさせられた文章でした。
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