東日本大震災から4カ月が経とうとしていますが、復興は進んでいません。東京電力福島原子力発電所からの放射性物質の拡散の問題もありますが、がれきの処理が不十分で、まだまだこれからというところだと思います。がれき処理については、行方不明者を慎重に調査しながら撤去する、個人財産の処理方法の問題などがあり一律に処理できにくいなど、福島原発問題とは少し異なった側面がありますが、復興への障がいになっていることは明らかであり速やかな対応が求められるところでます。
エタニットパイプ工場内の写真です。親の「職場訪問」の時の写真だと聞いた記憶があります。
がれき処理の問題は、ここ10年ほどアスベスト(石綿)労災問題にかかわってきた一人の医師としては、処理に伴うアスベスト吸入による、将来の「労災問題」、広い意味での「公害問題」が気になるところであり、ここに適切な対応を行うことが政治の責任ではないかと思います。
震災直後の3月19日に、東京都内で「復旧に関わる人のための呼吸用防護に関するセミナー」が開催されました。医師や看護師のほか、都市防災専門家、NPOや保護具メーカーの専門家等の参加があり、震災の復旧作業にあたり、個人や作業者の健康を守ることが必須であるとして、提言が行われました。
そのうちのいくつかを紹介すると、
・ほこり、アスベスト、カビなどが呼吸器に影響を与える可能性があるため、基本的な知識が必要
・現場における、ほこりにはどのようなものが含まれているかわからず、アスベストなどの有害物質を含んでいる可能性があるため、ほこりを吸い込まないような工夫が必要
・作業では防塵目的のDS2マスク(N95マスクと同等)以上を推奨し、説明書にもとづき正しく装着する
簡単にいうと、ほこりに何が含まれているか分らないので、きちんとしたマスクを、ちゃんとつけましょう、ということです。
阪神・淡路大震災が起きて2カ月余りたった1995年3月の末に、神戸医療生協の神戸協同病院へ医療支援にいったことがあります。JRの駅から長田のまちまで歩いていく途中、ビルの解体現場のそばを通り、妙に息苦しくなりましたったことを覚えています。
今から思えば、アスベストの舞い散る空気をしっかり吸ったのだと思いますが、当時はそういう感覚がなく「埃っぽい」としか思いませんでした。「基本的な知識」が重要だという典型例です。
1984年に、香川県で初めてアスベストを原因とする労災補償を認めさせて以来、30年近くたちます。香川県には、アスベストを取り扱う事業所が2つありました。高松市屋島西町にあった、エタニットパイプ社(現・リゾートソリューション社)は、1931年から1971年までアスベストを用いた水道管製造を行っていました。
昔から海運業が盛んだった瀬戸内海に、主にカナダから運ばれて来たアスベストを、屋島沖に停留している大型貨物船から小型船に荷下ろし、ドンゴロスにつめたアスベストを肩に担いで工場内に運んでいました。
もう一つの事業所が、三豊市詫間町にある神島(こうのしま)化学で、こちらは壁材や屋根など建築資材や保温材として用いられる、珪酸カルシウム板や石綿ボードを生産しており、耐火材は1976年まで、保温材は1979年まで石綿を使用していました。世界保健機関(WHO)がアスベストの発がん性を明確にしたのが1972年ですが、一部の特殊品については2002年4月まで使用していました。
(次号に続く)
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