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香川医療生活協同組合

フエ市の医療生協セミナー(9)の質疑応答です

(第365回 9月17日 )

 7月16日にフエ市で開催された「医療生協セミナー」報告、9月10日付(第363回)の続きです。

 少し長い質問です。

セミナーの翌日、フエからハノイへのフライトが午後だったので、午前中、古都フエを見学して、昼食を取るために少し早く フエ空港に着きました。その時のフエ空港の様子です。そうです。職員は保安要員を残して家に帰っているのです。昼食のメニュー は、ラーメン(もちろんインスタント)とビスケットでした(笑)
セミナーの翌日、フエからハノイへのフライトが午後だったので、午前中、古都フエを見学して、昼食を取るために少し早く フエ空港に着きました。その時のフエ空港の様子です。そうです。職員は保安要員を残して家に帰っているのです。昼食のメニュー は、ラーメン(もちろんインスタント)とビスケットでした(笑)

 「ベトナムの法律では、医療生協の設立は可能です。しかし、ベトナムの村などには小さな診療所があるし、数も増えて来たので、医療生協の診療所ができても競争は激しくなるでしょう。医師や看護師の数はまだ少ないし、給料も安いので、医療生協に勤めるかどうかは心配です。また、最近の試みなので、現実性があるかどうかはわかりません。ベトナムに医療生協を増やしていくためには、厚生省やVCA(ベトナム協同組合連合会)などが、必要な決まりを作らなければいけません。政府も必要な決まりを作らなければ、進みません。医療生協を作る時の決まりや手続きや、設立を促進する政策があるかどうかを教えて下さい。また、イェンバイ省の医療生協の経験も知りたい。医療生協の医師や看護師の給料の制度、医療生協の病院の行った医療が、世間で通用するのかどうか知りたいです。医療生協の病院の責任は、どうでしょうか」

 質問が多岐にわたるので、回答も長くなりました。

 「日本では『消費生活組合協同法』があり、生協を作り育てるのは国の責務であるということになっています。歴史的には、1945年まで戦争をやっていて、戦後食べるものがないとか、住むところもないとか、生活は非常に困難でした。そこで、少額のお金を出しあって、ものを安く買ってみんなの生活に役立てるといった仕組みを政府が奨励するという法律が1947年にできました。当初は物を買うことを中心にした法律でしたが、時代が変わり、医療にも適用できるという風に変わって来ました。2年前に法改正が行われ、医療を行うのも生協の役割であるということになりました。これが医療生協と国との関係ですが、医療生協を作るためには、活動する地域を決め、そこで医療生協を作ることに賛成する人を集めます。そして、出資金という事業の元手となるお金を集め、設立総会を開き、都道府県に届け出を行い、認められるという仕組みになっています。ですから、誰でも作れるし、どこでも作れるというのが日本の仕組みです」

ハノイのコーヒー店。米国が北ベトナム(当時)を爆撃していた頃から営業している店だそうです。コーヒーを挽いている間、コー ヒーを飲みながら一服できます。
ハノイのコーヒー店。米国が北ベトナム(当時)を爆撃していた頃から営業している店だそうです。コーヒーを挽いている間、コー ヒーを飲みながら一服できます。

 「日本ではどこでも病気の診断は可能です。国立病院の診断が、医療生協の病院の診断より上であるとは限りません。医療生協の病院の診断は、その証拠となる検査結果を添えれば、どこでも通用するものです。日本では、それぞれの分野の専門家が集まり、診断基準などガイドラインを作っているので、それに沿った診断をおこなえば、どこでおこなっても通用します」

 「給料の話ですが、その生協ごとに決めるのが原則です。協同組合の収入が少なければ、沢山の給料は払えません。給料の額は、普通この程度という目安があるので、それを参考にして、それぞれの医療生協で決めていく事になります。日本にも国立病院があり、私立の病院や診療所が沢山あります。そこに生協の病院や診療所ができると、当然競争が生まれます。問題は、どういう病院や診療所を住民が求めているかです。もし、今ある病院や診療所で十分だとすれば、医療生協の病院や診療所はいらないということになるでしょう。住民の要求を聞き、どういう病院や診療所が必要かという結論に達した時に行動を起こすようにしたらいいと思います。競争ではなく、異なる施設があるということで、共存が可能になるでしょう。イェンバイでは、班を作ったり支部を作ったりという日本の活動を学びながら活動しているので、機会があったら交流して参考にして下さい」

(続く)


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