(第341回 6月11日 )
第338回(6月1日)に「情勢が動いています」と書き、沖縄タイムス社説から「鳩山首相の政治責任は極めて重く、即刻退陣すべきだ」と引用したら、「国民は聞く耳をもたない」という言葉を残して、鳩山首相が官邸を去って行きました。
新内閣を組閣した菅首相は記者会見で「日米合意を踏まえるという原則は、しっかりと守っていかなければならない」と述べ、日米合意を進めた岡田外相、北沢防衛相、前原沖縄北方担当相を留任させ、沖縄県民の願いである普天間基地の撤去に背を向ける姿勢を明らかにしました。
4月25日に開催され9万人が参加した「県民大会」で、伊波宜野湾市長は「米国が代替施設を県内につくれといい続けるのであれば、われわれは沖縄から米軍の撤退を求めなければならない」と述べました。沖縄の世論は、明確に「米軍基地撤去」に傾いているのです。
日米安全保障条約があるから米軍基地は必要だという意見もあります。しかし、沖縄にある米軍基地は、日米安保条約に基づいて日本が土地を提供して作ったものではありません。
1月22日の衆院予算委員会の北沢防衛相と沖縄の赤嶺衆院議員(共産・比例)のやり取りを紹介します。
北沢防衛相は「昭和20年の4月に米軍が上陸してきて…南下する部隊が…この宜野湾市のところへ本土空襲のための飛行場を建設したという経過」と述べていますが、実態はそんな生易しいものではありません。
普天間基地は「住民が収用所に強制的に収用されているときに…軍用地、民有地を問わず接収して…基地を建設」したものです。「住民が収用所から帰ってきたら、鉄条網が張られ、自分たちの土地が基地に変えられていた」のです。「戦争が終わらないうちに強奪した上に…1951年以降、米軍は銃剣とブルドーザーによって、抵抗する住民を強制的に排除して基地をさらに拡張いたしました」と、赤嶺議員は告発しました。
普天間だけではありません。宜野湾市の伊佐浜、伊江島や県下各地で米軍は銃剣とブルドーザーで県民の土地を強奪して基地を作ったのです。戦争時であっても最低限守るべき基準を定めたハーグ陸戦法規の、占領下における略奪や私有財産の没収禁止に明らかに反した行為です。
戦争が終わって65年、いつまでも過去の負の遺産にあぐらをかくのではなく、新しい日米関係を構築する上で、今こそハッキリと米国にものがいえる政治に変えていかなければいけないと思います。
やはり、沖縄に基地はいらない、普天間基地は「移設」でなく無条件 「撤去」すべきなのです。
(この項、続く)
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